KIDS(映画) 2
2008年 02月 11日
続きです☆
途中はしょって…
刑務所での面会&タケオ父の病院〜ラスト。
面会シーンは斉藤由貴さんの淡々とした演技に見騙されましたw
それまで面会を拒んでいたことから何か理由がある…とは思っていたけど、まさかあそこまでアサトを恨んでいたとは…゜(゚´Д`゚)゜。
母親、という生き物も万能ではない、というお話なのですね。
母性本能って、誰にでもあるものなんじゃないんだな、と実感させられるエピソードでした。
そうね、母が子を育て、子が母を育てるのよね。
ここで殺された父親がもうちょっと理解があったり、慈悲深い人間だったらそんな悲劇は起こらなかったんだろうなぁ…。
少年であるアサトは射されたあと、その傷を母親に移す際、まったくの無意識だったのかしら?
それとも、実は意図的だった?
アサトのピュアさから言えば無意識だったんだろうけど…意図していたからこその心の傷の深さ、という捉え方も出来るなぁ。
母親の静かにわだかまる恨みをぶつけられて、よくアサトはあの場で泣きわめいたり、叫び出したりしなかったなぁ、と感心しました。
人間って、極度に傷つくと本当に何も考えられなくなるんだな、というシーンですよね。
ただただ呆然とするアサトの表情。
泣かれたり、叫ばれたりするより、ずっと辛いシーンです。
まだね、感情を表に出して発散してくれた方がまわりの人間は楽だよな、と思うんだよね。
そして母親も。
母親は精神的におかしくなっているのでなければ、何も言わない、ただ黙って自分を見つめているアサトに違和感を覚えるんだと思う。
だって、明らかに傷つけたくていってるようなものだから。
だから、ノーリアクションなアサトを見て、母親はアサトを宇宙人のように感じてしまうんじゃないのかなぁ、と。
もちろん逆に、アサトも母親を宇宙人のように思っているのかもしれない。
だって、子どもからしてみれば、母親って無償で自分に愛情をかけてくれるはずの存在だから。
でも自分の母親はそうじゃなかった。
アサトは泣けなかったんじゃなくて、理解できなかったのかもしれない。
そうも思えるシーンでした。
タケオが父親の病室で静かに時を過ごすシーン。
これこそが、この映画の肝、なんじゃないかと思えるシーンでした。
何も言わずに寝ている父親の方を見ているタケオ。
握り合わせたコブシ。
複雑な表情。
憎いだけだと思っていた父親なのに、その感情がどこか変化していく。
……でも、タケオはそれを素直に受け止めている、と思えるシーンでもある。
アサトと出逢ったことで変化したタケオの心。
意識のない、痛みを感じることもない父親に傷を捨てさせ続け、そのことで過去の溜飲が下がったのも事実なのでしょう。
かと言って、全てを許せる訳でもない。
でも、心の奥では許したいと思っているのかもしれない。
恨み言も、謝罪も届かない。
どれだけ複雑な思いで、父親を見つめていたんだろう。
タケオはこのシーンで、アサトのことをものすごく考えていたんだと思う。
シホの顔の傷のエピソードで、傷を引き受けようとするであろうアサトを止めるシーンがあるけれど、あの時タケオはシホを虐めたクラスメートたちを半殺しにしかねないイキオイだった。
顔の傷がなくなったからって心の傷までは消せない。
だったら過去を断ち切らせることの方が、シホの未来にはふさわしい。そう判断してのことだと思う。
タケオはシホが顔の傷がなくなれば町を出るだろう、という確信を持っていた。
そのことから、粗野で乱暴な少年(…青年?)にしては、かなり聡い&他人の心を理解出来る繊細な心を持っていることが窺える。
そんなタケオだからこそ、アサトが母親と面会する意味や、その後どうなっていくのかなど、期待と不安とを感じながら考えていたんじゃないだろうか…。
このシーン、もちろんアサトは、シホはそんなことは喜ばない、とタケオを止めるます。
繊細なシホの精神を思ってのアサトのセリフなんでしょう。
タケオの考えも、アサトの考えも、間違いではないと思う。
ただ、シホ(本人)不在で行動しても意味がない訳で。
とりあえずタケオがアサトの言葉を受け入れて、襲撃はやめた訳ですが…。
どちらも、シホのことを本当に考えているんだなぁ、と思わせるシーンでした。
考え方の方向性は全然違うけどね。
看護師たちが父親の身体を清めにきて、そこでタケオは父親の身体に傷がないことを知る。
傷を捨てたフリをしていたアサト。
痛みを隠し、弱々しいけれどいつも笑っていたアサトを思うタケオの心こそが、痛んだんじゃないだろうか…。
さて、クライマックスの交通事故シーンですが…
橋の上、タケオがアサトを探すシーンで、映像がスローモーションというか、ストップモーションのようになります。
ここは…ちょっとびみょーな演出だったと思います。
ギャグにしか見えないんだよね、人の動きが…
『スウィングガールズ』の猪と遭遇したシーンの印象があったせいかもしれないけど…
あの演出をあのシーンで選んだ理由が分からない゜(゚´Д`゚)゜。
あれがなければあのシーン、もうちょっと感情移入できたのになぁ…
病院から我を忘れてダッシュするタケオ。その走る姿も本当に足が長くてステキでした。
傷つき、逃げ惑う人々。
その合間をぬってアサトの姿を探すタケオ。
多くのけが人から、次々と傷を吸い取るアサト。
……っていうか、傷を移してもらった人たちって、もっと疑問に思ったり、アサトに不信感を抱いたり、訳が分からなくなったりしないの???
それまでにあった子ども相手のシーンとは違って、相手は大人。
女性が一人だけ、後からアサトに声をかけるけれど、みんなすんなり受け入れ過ぎなんじゃないの?と思わずツッコミ。
タケオが無事アサトを見つけ、駆け寄り、倒れるアサトを抱きとめる。
ぼろぼろになっても傷を移すのを辞めないアサトを止めるタケオ。
でもアサトは、そんなタケオに足の傷だけを移し、足止めをはかる。
……この時のアサトは、自分の(心の)痛みだけで精一杯で、タケオを思いやる気持ちはどこかに消えていたんだろうなぁ…。
歯が痛いなら、眼を刺せばいい。
という言葉があるけれど、この時のアサトの心理はまさにそれなんだと思う。
母親から投げかけられた言葉の刃でズタズタに切り裂かれた心が悲鳴をあげていて、それを忘れさせてくれる痛みがほしかったのでしょう。
そこに、もう死んでしまいたい、という想いが重なってしまって…
タケオでさえも、そんなアサトを止めることは(この時はまだ)出来なくて…
タケオに身体を見せるためにアサトがいきなり服を脱ぐんですけど、ごめんなさい、こんな真面目なシーンなのに萌えてしまいましたw
感動していてもしょせんは腐女子、ってことですね。
話しは戻って…
タケオに足の傷を移し、足止めしたアサトはなおも他人の傷を引き受け続けます。
懸命に止めさせようと叫ぶタケオ。
腕だけで何とか進もうとするんだけど、歩けるアサトに追いつけるはずがなくて…
「お前一人ぐらいオレが支えてやる」
タケオの叫びにジーンときました…。
なかなか言えないよ、そんなセリフ゜(゚´Д`゚)゜。
原作でのタケオはその暴力性のせいで特殊学級に在籍させられてます。
だからこそ、原作ではタケオには友達がいない、っていうのがすんなり受け入れられるんだけど、映画は本当ならちょっと違うハズ。
どんなに荒んでいても、正直、似た者、と少しは仲良くなっていてもおかしくない。
だけどタケオには親しい人物は保護観察のあのおっちゃんしかいない。
他人を信じられず、受け入れられず…というキャラとしては、正直あの父親とのエピソードだけじゃもの足りない。
でも、友達はまったくいない、という設定。
タケオは友達、というか…心を許せる存在に飢えていたんだろうか?
だからこそ、アサトの存在をするりと受け入れて、懐の奥深くまで迎え入れた?
たぶん、淋しかったんだろう、とは思う。
でなきゃ、どんなにアサトの力が気に入ったからって、あんな風にアサトを受け入れたり出来なかったんじゃないかな、と…
腐女子フィルター的には、子どもに向けた屈託ない笑顔にノックアウトされたんだな、と思いますけどね(●´艸`●)
アサトが受けた傷をタケオと分かち合うシーン。
それがこの映画のクライマックスでしょう。
倒れたアサトのところまで這ってでも辿り着こうとしたタケオ。
その想いの強さ。
出逢ってから、まだ短い期間でしかたっていないハズなのに、タケオにとってアサトはもう失えない存在になっていたんだな、と思うと切なくて…(だって、アサトはそんなタケオすら捨てて、自ら死んでしまうことを望んでいたから…)
死んでしまいたい、というアサトの叫びを聞いた時、タケオはどれだけ傷ついたんだろう。
でも、それさえも乗り越えて。
タケオは、自分が傷ついても、それでアサトが少しでも楽になれば、と思ってしまうほどにアサトを大切に想ってる。
だからこそ、最後にその叫びがアサトに届いてくれたんだろうなぁ…。
途中はしょって…
刑務所での面会&タケオ父の病院〜ラスト。
面会シーンは斉藤由貴さんの淡々とした演技に見騙されましたw
それまで面会を拒んでいたことから何か理由がある…とは思っていたけど、まさかあそこまでアサトを恨んでいたとは…゜(゚´Д`゚)゜。
母親、という生き物も万能ではない、というお話なのですね。
母性本能って、誰にでもあるものなんじゃないんだな、と実感させられるエピソードでした。
そうね、母が子を育て、子が母を育てるのよね。
ここで殺された父親がもうちょっと理解があったり、慈悲深い人間だったらそんな悲劇は起こらなかったんだろうなぁ…。
少年であるアサトは射されたあと、その傷を母親に移す際、まったくの無意識だったのかしら?
それとも、実は意図的だった?
アサトのピュアさから言えば無意識だったんだろうけど…意図していたからこその心の傷の深さ、という捉え方も出来るなぁ。
母親の静かにわだかまる恨みをぶつけられて、よくアサトはあの場で泣きわめいたり、叫び出したりしなかったなぁ、と感心しました。
人間って、極度に傷つくと本当に何も考えられなくなるんだな、というシーンですよね。
ただただ呆然とするアサトの表情。
泣かれたり、叫ばれたりするより、ずっと辛いシーンです。
まだね、感情を表に出して発散してくれた方がまわりの人間は楽だよな、と思うんだよね。
そして母親も。
母親は精神的におかしくなっているのでなければ、何も言わない、ただ黙って自分を見つめているアサトに違和感を覚えるんだと思う。
だって、明らかに傷つけたくていってるようなものだから。
だから、ノーリアクションなアサトを見て、母親はアサトを宇宙人のように感じてしまうんじゃないのかなぁ、と。
もちろん逆に、アサトも母親を宇宙人のように思っているのかもしれない。
だって、子どもからしてみれば、母親って無償で自分に愛情をかけてくれるはずの存在だから。
でも自分の母親はそうじゃなかった。
アサトは泣けなかったんじゃなくて、理解できなかったのかもしれない。
そうも思えるシーンでした。
タケオが父親の病室で静かに時を過ごすシーン。
これこそが、この映画の肝、なんじゃないかと思えるシーンでした。
何も言わずに寝ている父親の方を見ているタケオ。
握り合わせたコブシ。
複雑な表情。
憎いだけだと思っていた父親なのに、その感情がどこか変化していく。
……でも、タケオはそれを素直に受け止めている、と思えるシーンでもある。
アサトと出逢ったことで変化したタケオの心。
意識のない、痛みを感じることもない父親に傷を捨てさせ続け、そのことで過去の溜飲が下がったのも事実なのでしょう。
かと言って、全てを許せる訳でもない。
でも、心の奥では許したいと思っているのかもしれない。
恨み言も、謝罪も届かない。
どれだけ複雑な思いで、父親を見つめていたんだろう。
タケオはこのシーンで、アサトのことをものすごく考えていたんだと思う。
シホの顔の傷のエピソードで、傷を引き受けようとするであろうアサトを止めるシーンがあるけれど、あの時タケオはシホを虐めたクラスメートたちを半殺しにしかねないイキオイだった。
顔の傷がなくなったからって心の傷までは消せない。
だったら過去を断ち切らせることの方が、シホの未来にはふさわしい。そう判断してのことだと思う。
タケオはシホが顔の傷がなくなれば町を出るだろう、という確信を持っていた。
そのことから、粗野で乱暴な少年(…青年?)にしては、かなり聡い&他人の心を理解出来る繊細な心を持っていることが窺える。
そんなタケオだからこそ、アサトが母親と面会する意味や、その後どうなっていくのかなど、期待と不安とを感じながら考えていたんじゃないだろうか…。
このシーン、もちろんアサトは、シホはそんなことは喜ばない、とタケオを止めるます。
繊細なシホの精神を思ってのアサトのセリフなんでしょう。
タケオの考えも、アサトの考えも、間違いではないと思う。
ただ、シホ(本人)不在で行動しても意味がない訳で。
とりあえずタケオがアサトの言葉を受け入れて、襲撃はやめた訳ですが…。
どちらも、シホのことを本当に考えているんだなぁ、と思わせるシーンでした。
考え方の方向性は全然違うけどね。
看護師たちが父親の身体を清めにきて、そこでタケオは父親の身体に傷がないことを知る。
傷を捨てたフリをしていたアサト。
痛みを隠し、弱々しいけれどいつも笑っていたアサトを思うタケオの心こそが、痛んだんじゃないだろうか…。
さて、クライマックスの交通事故シーンですが…
橋の上、タケオがアサトを探すシーンで、映像がスローモーションというか、ストップモーションのようになります。
ここは…ちょっとびみょーな演出だったと思います。
ギャグにしか見えないんだよね、人の動きが…
『スウィングガールズ』の猪と遭遇したシーンの印象があったせいかもしれないけど…
あの演出をあのシーンで選んだ理由が分からない゜(゚´Д`゚)゜。
あれがなければあのシーン、もうちょっと感情移入できたのになぁ…
病院から我を忘れてダッシュするタケオ。その走る姿も本当に足が長くてステキでした。
傷つき、逃げ惑う人々。
その合間をぬってアサトの姿を探すタケオ。
多くのけが人から、次々と傷を吸い取るアサト。
……っていうか、傷を移してもらった人たちって、もっと疑問に思ったり、アサトに不信感を抱いたり、訳が分からなくなったりしないの???
それまでにあった子ども相手のシーンとは違って、相手は大人。
女性が一人だけ、後からアサトに声をかけるけれど、みんなすんなり受け入れ過ぎなんじゃないの?と思わずツッコミ。
タケオが無事アサトを見つけ、駆け寄り、倒れるアサトを抱きとめる。
ぼろぼろになっても傷を移すのを辞めないアサトを止めるタケオ。
でもアサトは、そんなタケオに足の傷だけを移し、足止めをはかる。
……この時のアサトは、自分の(心の)痛みだけで精一杯で、タケオを思いやる気持ちはどこかに消えていたんだろうなぁ…。
歯が痛いなら、眼を刺せばいい。
という言葉があるけれど、この時のアサトの心理はまさにそれなんだと思う。
母親から投げかけられた言葉の刃でズタズタに切り裂かれた心が悲鳴をあげていて、それを忘れさせてくれる痛みがほしかったのでしょう。
そこに、もう死んでしまいたい、という想いが重なってしまって…
タケオでさえも、そんなアサトを止めることは(この時はまだ)出来なくて…
タケオに身体を見せるためにアサトがいきなり服を脱ぐんですけど、ごめんなさい、こんな真面目なシーンなのに萌えてしまいましたw
感動していてもしょせんは腐女子、ってことですね。
話しは戻って…
タケオに足の傷を移し、足止めしたアサトはなおも他人の傷を引き受け続けます。
懸命に止めさせようと叫ぶタケオ。
腕だけで何とか進もうとするんだけど、歩けるアサトに追いつけるはずがなくて…
「お前一人ぐらいオレが支えてやる」
タケオの叫びにジーンときました…。
なかなか言えないよ、そんなセリフ゜(゚´Д`゚)゜。
原作でのタケオはその暴力性のせいで特殊学級に在籍させられてます。
だからこそ、原作ではタケオには友達がいない、っていうのがすんなり受け入れられるんだけど、映画は本当ならちょっと違うハズ。
どんなに荒んでいても、正直、似た者、と少しは仲良くなっていてもおかしくない。
だけどタケオには親しい人物は保護観察のあのおっちゃんしかいない。
他人を信じられず、受け入れられず…というキャラとしては、正直あの父親とのエピソードだけじゃもの足りない。
でも、友達はまったくいない、という設定。
タケオは友達、というか…心を許せる存在に飢えていたんだろうか?
だからこそ、アサトの存在をするりと受け入れて、懐の奥深くまで迎え入れた?
たぶん、淋しかったんだろう、とは思う。
でなきゃ、どんなにアサトの力が気に入ったからって、あんな風にアサトを受け入れたり出来なかったんじゃないかな、と…
腐女子フィルター的には、子どもに向けた屈託ない笑顔にノックアウトされたんだな、と思いますけどね(●´艸`●)
アサトが受けた傷をタケオと分かち合うシーン。
それがこの映画のクライマックスでしょう。
倒れたアサトのところまで這ってでも辿り着こうとしたタケオ。
その想いの強さ。
出逢ってから、まだ短い期間でしかたっていないハズなのに、タケオにとってアサトはもう失えない存在になっていたんだな、と思うと切なくて…(だって、アサトはそんなタケオすら捨てて、自ら死んでしまうことを望んでいたから…)
死んでしまいたい、というアサトの叫びを聞いた時、タケオはどれだけ傷ついたんだろう。
でも、それさえも乗り越えて。
タケオは、自分が傷ついても、それでアサトが少しでも楽になれば、と思ってしまうほどにアサトを大切に想ってる。
だからこそ、最後にその叫びがアサトに届いてくれたんだろうなぁ…。
# by 108-dash | 2008-02-11 09:30 | 映画